以前知人からスゴいブログを教えてもらった。
「童貞で40代で司法浪人」というタイトルのブログで、この人は男子高校に入ってから人生が暗転し始めて法政大学に進学もそれは不本意だったようで、東大に入ったら人生逆転だ、を狙うべく仮面浪人を重ねたり大卒後は司法浪人をずっと続け、それも結局は断念してブログ最終更新あたりの状況では日雇い労働をしているという内容だ。
この人は男子校に入った事が人生最大の失敗だった、仮に今から大金を貰ったり弁護士になれたとしても40歳を過ぎた中年オヤジが女子高生や女子大生と仲良くなれる訳ではない、今後の自分には一回たりとも若い女性と楽しい時間を持てない人生しか残されていない、そんな意味ではただひたすら悔恨の念が強くなり過ぎ去った時間に思いを馳せるだけだ、みたいな事を書いている。
これは本当にその通りだろうなあ、と思う。
人間には旬というものがあり、旬の時期だからこそ出来る事があるだろう。
小学生くらいだからこそすぐに初対面の学友と仲良くなれ友人という関係性を構築できるし、泥んこになって遊ぶことが出来る。
中学生くらいだからこそ、成長期で食欲旺盛になるから食べ物が美味しく感じられご飯を何杯でもお代わりできる。
高校生くらいだからこそ、異性と手をつなぐだけでもドキドキできるし、純粋に好きな人を想う事ができる。
脇目もふらず勉強をして、成功してから人生を楽しみたいと言う人もいるだろうが、旬を過ぎてしまうともう純粋に楽しむことなど出来やしない。
そんな意味では、男子校や女子校というのは結構大変な環境なのではないかと思う。
人生の旬を味わい尽くす事が出来なくなるのでは、と私は自分の経験からも想像してしまうからだ。
高校生の時、男子校に進学した同級生とバッタリとバス停とかで出会う事があった。私が「男子校っていうのは、どんな感じかな?」と聞くと、「うーん、なんか刑務所とか軍隊みたいな感じがするよ。女子校との合コンとかはあるらしいけど、日常はむさ苦しいね。」みたいな事を言っていた。
これを聞いた私は、よく彼はそんな環境に我慢できるなあと驚いたものだ。
共学ならば、家庭科の授業でリンゴの皮むきが出来ない場合は女子生徒が手伝ってくれたり、そんな子と仲良くなれば例えば私が脱ぎ捨てたジャージをキチンと畳んでロッカーにしまってくれたり、なんて事もある。
そんな経験を一回も得られない学生生活ってどうなんだろうか、と当時も今も私は疑問に思っている。
人生に後悔を残さないためにも適切な時期に適切な環境で、未成熟という稚拙さがある中で存分にその時間を味わうという経験を得られる事が、大人になってからの長い人生を微かに照らす灯火になるのではないかと私は考えている。
私はその意味で、中学時代に良くしてくれた女子生徒への感謝の念を今も抱いているし、高校時代の想い出を顧みてもそれは懐かしく切なく、いつまでも私の掛け替えのない財産として自分の頭脳と心の中にずっと留まる事だろうと思う。
子供の教育を考えた場合、やはり経験を積むという事を考慮すると共学が無難なのではないか。
対異性を考えた場合、経験を積んでおく事は大切だ。
株や不動産もそうだが、経験値を積んでいく事がなければレベルは上がらない。
教科書を読んで理解したつもりでも、実践を伴わないと全然身に付かないというのは当たり前の話で、三国志の馬謖が街亭の戦いで諸葛亮の指示に背き行動に妥当性を欠き大敗したのも、「孫子読みの孫子知らず」という警句の典型例だろう。
中年になってからキャバクラにハマったり、満たされない思いになり出会い系サイトに流れる人もいる。
そんな人は学生時代の満たされぬ思いを、カネが出来た時分になってから弔い合戦で青春を取り戻そうとしているのかもしれない。
色々考えると、共学校に子供を進学させる方が良いのではないだろうか。
「童貞で40代で司法浪人」というタイトルのブログで、この人は男子高校に入ってから人生が暗転し始めて法政大学に進学もそれは不本意だったようで、東大に入ったら人生逆転だ、を狙うべく仮面浪人を重ねたり大卒後は司法浪人をずっと続け、それも結局は断念してブログ最終更新あたりの状況では日雇い労働をしているという内容だ。
この人は男子校に入った事が人生最大の失敗だった、仮に今から大金を貰ったり弁護士になれたとしても40歳を過ぎた中年オヤジが女子高生や女子大生と仲良くなれる訳ではない、今後の自分には一回たりとも若い女性と楽しい時間を持てない人生しか残されていない、そんな意味ではただひたすら悔恨の念が強くなり過ぎ去った時間に思いを馳せるだけだ、みたいな事を書いている。
これは本当にその通りだろうなあ、と思う。
人間には旬というものがあり、旬の時期だからこそ出来る事があるだろう。
小学生くらいだからこそすぐに初対面の学友と仲良くなれ友人という関係性を構築できるし、泥んこになって遊ぶことが出来る。
中学生くらいだからこそ、成長期で食欲旺盛になるから食べ物が美味しく感じられご飯を何杯でもお代わりできる。
高校生くらいだからこそ、異性と手をつなぐだけでもドキドキできるし、純粋に好きな人を想う事ができる。
脇目もふらず勉強をして、成功してから人生を楽しみたいと言う人もいるだろうが、旬を過ぎてしまうともう純粋に楽しむことなど出来やしない。
そんな意味では、男子校や女子校というのは結構大変な環境なのではないかと思う。
人生の旬を味わい尽くす事が出来なくなるのでは、と私は自分の経験からも想像してしまうからだ。
高校生の時、男子校に進学した同級生とバッタリとバス停とかで出会う事があった。私が「男子校っていうのは、どんな感じかな?」と聞くと、「うーん、なんか刑務所とか軍隊みたいな感じがするよ。女子校との合コンとかはあるらしいけど、日常はむさ苦しいね。」みたいな事を言っていた。
これを聞いた私は、よく彼はそんな環境に我慢できるなあと驚いたものだ。
共学ならば、家庭科の授業でリンゴの皮むきが出来ない場合は女子生徒が手伝ってくれたり、そんな子と仲良くなれば例えば私が脱ぎ捨てたジャージをキチンと畳んでロッカーにしまってくれたり、なんて事もある。
そんな経験を一回も得られない学生生活ってどうなんだろうか、と当時も今も私は疑問に思っている。
人生に後悔を残さないためにも適切な時期に適切な環境で、未成熟という稚拙さがある中で存分にその時間を味わうという経験を得られる事が、大人になってからの長い人生を微かに照らす灯火になるのではないかと私は考えている。
私はその意味で、中学時代に良くしてくれた女子生徒への感謝の念を今も抱いているし、高校時代の想い出を顧みてもそれは懐かしく切なく、いつまでも私の掛け替えのない財産として自分の頭脳と心の中にずっと留まる事だろうと思う。
子供の教育を考えた場合、やはり経験を積むという事を考慮すると共学が無難なのではないか。
対異性を考えた場合、経験を積んでおく事は大切だ。
株や不動産もそうだが、経験値を積んでいく事がなければレベルは上がらない。
教科書を読んで理解したつもりでも、実践を伴わないと全然身に付かないというのは当たり前の話で、三国志の馬謖が街亭の戦いで諸葛亮の指示に背き行動に妥当性を欠き大敗したのも、「孫子読みの孫子知らず」という警句の典型例だろう。
中年になってからキャバクラにハマったり、満たされない思いになり出会い系サイトに流れる人もいる。
そんな人は学生時代の満たされぬ思いを、カネが出来た時分になってから弔い合戦で青春を取り戻そうとしているのかもしれない。
色々考えると、共学校に子供を進学させる方が良いのではないだろうか。