堀田篤宏 不動産投資ブログ

2001年より不動産投資やヘッジファンド、1998年より株式投資を継続。9年ぶりにブログを再開 現在は豊島区・板橋区などを中心に約50世帯を所有・管理。2年前は85世帯、売却直前には約100世帯まで所有したが、リスクオフを段階的に実施してきた。

カテゴリ: 雑談

最近、とある会合がありその席での話。

守秘義務がある、とまでは言わないがあまり詳細は書けない。
某経済系の会合だ。
経済アナリストやゼネコン関係、大学教授等が出席者だった。
私は末席で参加という事になる。

座長がワインを傾けながら「しかし、岸田首相ほど情けない総理大臣も珍しい。右顧左眄して、軸が全くない。」と批判した。

外の出席者からも、「新しい資本主義って何だったんですかね、もう誰も覚えていない。」とか、「増税だけは素早い。」など辛口発言が飛び交った。

まあこれはごく当たり前の感想だろう。
今の状況で岸田首相を高評価する人がもしいるのなら、是非お目にかかりたいし、その理由をお聞きしたいとも思う位だ。

1万歩譲って、岸田首相を評価する人はおそらく彼のブレブレな姿勢のお陰で自分の利益になる人だけ、なのではないだろうか。

1、円売りの投資家
2、円建てで商品(コモディティ)ロングの投資家
3、日本を族滅させて利益を取りたい外国人

上記の人たちは、岸田首相を支持してもおかしくない。
岸田首相のお陰で利益が見込めそうだからだ。

彼の政策では日本の縮小均衡が進む一方で、国民だけが大変な思いをする事になるだろう。

元々、影が薄いし政策もパッとしないし外相時にも何ら成果がなかったのに総理の椅子を目指しているという記事を読んで、この岸田議員は何か勘違いしているのか?と私は過去に思った事がある。

総理の器でないのに総理を目指すなんて、なかなか肝が太いのか鈍感なのか、と感じたものだ。

しかし運が良いのか悪いのか、人材不足もあり岸田首相が誕生してしまい今日の惨状の日本に至った。

イタリアのメローニ首相のように、貧困層からでも国民の支持が得られるなら首相になれる、そんな選挙制度になってもらいたいし、そうならないと日本の未来は暗くなるばかりだろう。

埼玉県議会の自民党、公明党がこども虐待防止条例を取り下げた。

取り下げは良かったが、こんなアホな条例を真面目に作成して議論して制定直前まで通してきたという、その体質が暴かれただけでも意義深いと言える部分があるのだろう。

この条例、子供一人で留守番や買い物、登下校も大人付き添いでないなら虐待に当たるし、ゆくゆくは罰則も設けるという日本の事情を無視した暴論と言える代物。

カルト宗教にかぶれているのか、頭が悪いのか、それとも日本の国力を更に削ぐためのスパイだからあえて悪法を作るのか。
私には上記のうち、この議員たちはどれかに当てはまるように思われる。

自民党支持の人たちは、しかし本当に今の日本の実情を判っているのだろうか。
中東での戦争が起きつつある現状は第三次世界大戦の気配が漂い、行き過ぎた金融緩和も世界的に限界、台湾海峡が封鎖された場合は輸出入のコストが莫大になり、日本と言えども将来はハイパーインフレが有り得る訳で、しかし国民のうち過半数以上は、天下泰平という感じだ。

これはマスコミの罪も大きいだろう。
テレビを観てもグルメやお笑い等が多く、これだけ観ているとまるで日本は平穏無事で、何となく気怠さすら漂う日常を何の疑問も無しに送れる、という塩梅になってしまうのだろう。

まるで秦帝国の二世皇帝胡亥が宦官趙高に情報封鎖され酒と女で現実逃避しているのと、テレビ漬けの国民がダブって見えるのは私の気のせいなのだろうか。

もしくは、蜀漢の劉禅が宦官黄皓に情報を止められ、国家の破綻が目前に迫るという事を知らずに遊興に耽っているような光景、とも言い換える事が出来るのかもしれない。

そして、2030年代から2040年代にくる南海大地震がトドメ、という事になるのだろうか。

この地震が起きると、四国から神奈川千葉辺りまでが甚大な被害を受け、日本が立つか立たぬかという状況にまでなりかねない。

子弟の教育という観点からは、大工作業を覚えさせる事や体力を付けるという事が、偏差値より大切になってくるのかもしれない。

そして、変なカルト宗教を排除して自分の頭で物事を調べ考える能力も、学力以上に大事だ。

さて、次の選挙はまだ先だが自民公明は論外だからそれ以外で、何か投票できる政党は無いか、検討を改めてしていこうと思う。


また、仕事上でお世話になっている人が末期がんになってしまった。(まだ60歳前後)

また、と書いたのはこんな例が増えていて、しかももう余命が幾ばくも無いという状況で見つかる事が、少なくないからだ。
私の周囲では、癌や死亡がともかく増えているのだ。

この原因は色々あるだろうが、それはあえて書かない。

しかし、こんな状況になってくると「これからは人生100年時代」等とリサ・グラットン教授が呑気な話を書いていたが、それは絵空事になってしまう事だろう。

もちろん、戦前生まれとか団塊生まれ位までは100歳近くまでいく人も少なくないだろうが、新人類や団塊ジュニア以降はどうだろうか。
まあ、70歳までいけば御の字なのではないか。

人生70古来稀なり、という状況がまた再来するのは想像に難くない。
私も70歳まで生きられれば、まあまあ満足と言えるだろう。

何れにせよこの場合、不動産は売り圧力が恒常的に強まる訳で、私はやはり今後更に立地を厳選しないと恐ろしくて不動産なぞ、保有したくないという気持ちになる。

JR山手線に代表される東京コアエリアは、利便性や希少性から人口激減時代になっても、まだそれなりに価値を保てるだろうが、郊外や地方は立ち腐れみたいなエリアが増える一方になるのだろう。

私のポートフォリオ上、多少は郊外を持っているが時期を見ながら売却し、適切な資産に入れ替えをしていかなくてはいけないだろう。

解体費用高騰も考えると、木造の戸建てや2世帯住宅程度がやはり簡単で、JR山手線沿線で引き継きこの手の物件を購入していきたい。

そのタイミングは米国がリセッション入りする来年以降になりそうだし、おそらく2025年辺りでは良い買い物ができそうだ。

子弟の教育には、ある程度の毒が必要なのかもしれない。

お勉強だけ頑張って、大学→大企業という理想的な進路になっても挫折してしまう人がいるし、幸福感を感じられないと考えている人も、少なくないかもしれない。

そうでなくても、「かぼちゃの馬車」のような投資詐欺にひっかかったり、新築ワンルームを買ってしまったりと、エリート層をターゲットにした商法も世の中には色々ある。

以前、私は某ワンルームデベロッパーの社長と話した。

私「しかし表面利回り3%とかで、よく皆さん買いますね。金利が上昇してきたら、含み損にすぐ陥りそうですが。」

社長「だからこそ、公務員や医者、大企業の勤め人を狙います。彼らはインフレ対策や生命保険替わりというと、案外乗ってくるんですよ。」

私「それで売れるものなんですか?」

社長「売れるものなんですよ。」

私「ははあ、そうすると世の中よく出来ていますね。上級公務員や大企業は庶民からすると羨望の的ですが、隣の芝生は青いと言うか実は案外損失を出しているケースもあると。」

社長「公務員や大企業サラリーマンが高給や天下りを重ねて蓄えたお金が、こうやってワンルームを割高に買う事で社会に還元されてきている、という訳ですね。」

こんな落とし穴もある訳で、これを防ぐには「世間知」というものを鍛えなくてはいけない。

しかし、世間知を鍛えるのも難しい部分がある。
苦労をさせたり貧乏暮らしをさせるだけでなく、毒を少し与えていくという事も必要になってくるからだ。

毒は、戦国時代の大名なら幼少期から実際に極少量ずつ摂取して、免疫を付けていき毒殺への対応力を高めるという逸話があるように、結構過激なやり方もあるが、私がここで言う毒とは実際の毒物ではなくて社会の様々な構造をある程度理解する、という意味になるのだろうか。

例えば、競馬を高校時代からやってみるとか、高校大学とアルバイトをどんどん経験したり、異性関係も頑張ってみるとか、海外で貧乏暮らしを何年も経験するとか色々やり方はあるだろう。

私の場合で言うと、実家が貧乏だったから旅行や外食の経験が全く無かった。
それでお金に対する欲求が高まり、高校生になるとパチンコや競馬に精を出すことになった。

そう書くとまるでお金を失うだけのアホな青春と言われそうだが、得られた毒も少なからずある。

例えば競馬の場合、信じられる事は実際の自分の眼力だけだ。
しかし、競馬新聞を読むと評論家や予想家が色々さも最もらしい事を言って買い目を勧めている訳だが、これは見事に外れるケースが多い。

馬の調教師や厩務員のコメントだって、どこまで信用できるか分かったものじゃない。
馬鹿正直に他人の話を鵜呑みにしていると、身ぐるみ剝がされてしまうだけだ。

しかし純粋培養されたエリートなら、鉄火場で親切な予想屋を信じてしまい、その理路整然とした予想を元に買い目を決めてお金を失うというケースは少なくないだろう。

投資も実はギャンブル要素が多いので、これを高校時代からやっていると勝負勘だけでなく、例えば経済の分野でエコノミストやストラテジストの言う事程度は、調教師の談話や競馬の予想屋の話に似ていて鵜呑みになどしなくなる。

ましてや、「かぼちゃの馬車」などだまされる訳もない、という事になる。

毒をある程度服用する、そこには世間の荒波に対応する力の涵養という部分があるのかもしれない。

私の昔は愚かで(今も愚かな部分や嫌な部分はあるだろう)、色々失敗をしたし毒を飲まざるを得ない環境でもあった。

でも今の投資にそれが活きていると感じる。

子弟の教育は、ぬくぬくと暖かい環境を与え高学歴にすれば一丁上がりという訳でもないのかもしれない。

8月20日付けの共同通信の記事では、岸田内閣の支持率が33%、不支持は50%に至った。
まるで中国株のような低迷ぶりだが、これは岸田首相や河野・鈴木等の閣僚の資質も影響しているのだろう。

岸田首相は、やはりお坊ちゃん育ちだから決断力が無い。
何となく三国志に出てくる諸葛亮孔明の倅、諸葛瞻を彷彿とさせる人物だ。

諸葛瞻は偉大な親父の名声から、本人の実力以上に評価されていた、とある。
そして、宦官の黄皓が専横を極めてもそれを斬る事ができないし、自国の蜀が滅亡寸前でもグズグズとして行動出来ず、無茶な行軍で疲弊していた魏軍の鄧艾を回復させてしまい、最後は綿竹で降伏勧告を断り(←この点だけは評価されている)戦死したという決断力と実行力の無さを正史で指摘されている、という人物だ。

まあ、山田養蜂場やらビッグモーターやらもそうだが、2代目3代目4代目とかの甘さはどうしても出てきてしまうのだろうか。

河野大臣にしてもトルドー加首相等の影響を受けているせいか、強引に「俺が指導してやるから従え」というエリートにありがちな傲慢さと、世襲制特有の見通しの悪さを合わせ持っている政治家だし、鈴木大臣も平時ならともかく、この難局には能力不足な点が否めない。

加えて、エッフェル塔の騒動で話題の今井絵理子や松川るい等の女性議員も、あんな写真を投稿したらどうなるかという想像力が働かないというだけでも、政治家としての適性が無い事が露見してしまっている。

今井絵理子は学童時期から歌手で芸能界がメインだし、松川るいもお勉強ばかりだったろうから、本当の意味での世間を知らないのだろう。

例えば、私の叔父も千葉大医学部現役合格という事で頭が良いと自負していたし、傲慢な話し方をする人物でもあったけれど、名刺を他人に渡すときに目下はもちろん目上の医者に対してでも、片手で名乗りもせずに「おお」と渡すという礼儀ぶりで、同席した私は唖然としてしまった事がある。

叔父は読書や勉強は好きだったが、世間知を学ぶ機会がなかったのだろう。
これは趙括や馬謖を何となく想起させる部分がある。

当然、叔父は株式投資や不動産購入でも失敗を重ね、医院の開業も微妙な場所を選んでしまい結局閉院に至ったのだが、高学歴と勝負勘や勝負知性は比例しないケースも少なくないのだろう。

岸田首相もそんな意味で、学歴だけは高い。
しかし決断力が無いだけでなく、ある種の鈍さも合わせ持っている訳で、私としては自民党に投票する気には全くならない。

岸田総理は元々、国民の間で認知度が低かった時代から総理への野望、安倍総理からの禅譲という希望を隠してこなかった。
ただ、おそらくこの人が総理になったら増税路線になるだろうから、そうなれば本当の意味で日本に暮らす庶民が大変になるだろう、と私は考えてきた。

そして今、自民党に投票した人たちはインフレ増税をその見返りとして、与えられた訳だ。

高橋是清のように、丁稚や教師、相場師や山師、奴隷など海千山千の経験を持つ事で磨かれた知性と包容力を合わせ持ち、それでいて天下国家をきちんと考えられる政治家が出てきてもらえたら、と私は切望している。

そんな政治家が多数を占める政党がもし現れたら、私は喜んでそこに投票するだろう。

私はまたコロナになり、回復傾向が鮮明になってきた。
ほぼ普通の体調に戻った。

デルタ→オミクロン→オミクロンと罹り、今回のエリスとかいうコロナに改めて罹った訳だ。

デルタの時は咳が凄く長引いた。
この時は、いくらマスクしていても商談の席に着くのが何となく嫌になった、という記憶がある。
「相手は嫌がるだろうなあ」と思ったからだ。

オミクロンの時は、熱が上がったり下がったりで不思議な感覚があった。
デルタの時は、1か月くらい咳が残り「なんというシツコさ」と思った。
もっとも、2回目オミクロンの時は鼻水と喉痛と目ヤニ位で、熱まではいかなかった。

今回のエリスは、喉痛と頭痛、そして鼻詰まりが長引き、母親にも感染させてしまった。
熱は、過去の免疫がいくらかあったから、全くでなかった。

まあ、感染していく事で身体は慣れてくるし、感染→回復というプロセスを乗り越えないと普通の社会生活は営めないだろう。

欧米などでは、コロナウイルス自体が実験室から何らかの事故で流出したという、人工作成ウイルス説が普通に討議されているが、何回も感染した私から見ると、それは確かにそうなんだろうなあと思う。

何というか、普通の風邪とは毛色がかなり違っていて、回復したと思っても身体の奥底に残存している感覚があり、また症状としても今までの風邪とは明らかに違う。

しかし、これが蔓延した世界になった以上は我々はコロナを受け入れ生きていくしかない訳で、自分の身体の免疫や記憶、訓練を心がけていくしかないだろう。

ちなみに私は後漢の長沙太守であった張仲景先生の記した「傷寒雑病論」を読んで、その処方の薬を風邪の時は服用している。
やはり葛根湯が一番私には合うようだ。

まあ何回かコロナになったが、ワクチン未接種ながら全く辛くはなかったし、CDCのドクターファウチ大先生が、「実際に罹る事が最大の免疫になります。一度罹れば、その方に対しては以降のワクチンは必要ありません。」と語っていたが、その通りだろうと思う。

20年前にインフルエンザになったが、それも身体の記憶や免疫になったようで以降ノーマスク・ノーワクチンながら一度も罹らない。
身体の事は深遠で、まだまだ人間程度の知見では判らない事が多すぎるのだろう。

夏休みだが、酷暑が続き中々外出する事が出来ない人も少なからずいるのかもしれない。

地球温暖化が叫ばれ、地球の沸騰化とかいう言葉も散見される。

私自身は地球温暖化より、ヒートアイランド現象だと感じている。
確かに都心は暑いし、郊外の内陸部も暑い。
しかし例えば、千葉の勝浦や大原など夜は寒くて何か被らないと眠れない、なんて事は今年も普通にあるからだ。

「それは例外的な話では?」という意見があるかもしれないが、欧米でも都市部のヒートアイランドは普遍的ながら、田舎はさほど気温が上がっている訳でもないようだ。

もちろん、田舎でも日照りや旱魃で大変なエリアもあるが、大まかに世界の気温を調べるとそこまで上昇している訳でもない。

寒冷化や温暖化は地球の過去を調べると周期的に起きている訳で、氷期よりまだ温暖化の方がマシなのではと私は思っている。

学生の時に読んだ参考書には、「人類誕生以前の東京湾ではサンゴ礁があった」と書かれていた。
トンボのサイズも、当時はかなり大きかったそうだし、暑いや寒いのバイオリズムはまあ色々あるのだろうと思う。

諸説色々あれど、暑さが耐えられない人は勝浦などで避暑が良いのかもしれない。

私は避暑に出かけられるほどのゆとりがないので、仕事を基本としつつ1日15000歩位は歩いてビールを2本飲んだら、夜は早めに寝ようと思っている。

昨日、仕事帰りに池袋の「レトロ百貨展」を見てきた。

西武線の中吊り広告で度々目にしていて、まあ帰路だし見てみるかと思った次第だ。

西武百貨店の7階まで行って催事のフロアに入り感じたのは、「催事とはいえ、丁寧に練られた企画だな」というもの。

西武池袋線の往時を偲ばせる、懐かしい写真が池袋駅から吾野駅まで各駅が勢ぞろいし、木造改札の再現や西武デパート周辺のジオラマ、懐かしのファミコンやビックリマンのガチャガチャ、クリームソーダが味わえる昭和の喫茶店など、見所が多い。

何となく私は、何の悩みも無かった遠い日の事を想い出した。

私の幼少期のころは、昼休みには鬼ごっこ。
子供同士で近くの田んぼを休耕期にはサッカー場で使ったり、近所の山まで行ってチャンバラごっこや警ドロをしたり、楽しかったなあと。

私の家は貧乏でお金が無く毎月7万円でどうにか遣り繰りしていたと母から聞いたが、それでも毎日が楽しく学校の昼休みや登下校中での友人との会話等、何にでも明るい色どりがあった事を覚えている。

当時は総じて治安がよく、車もそこまで多くは無かったので事故の心配があまりなかったと思う。
野菜の無人販売も多く、それでもトラブルなど無かった時代だ。
(これは川崎や東京の国分寺辺りの話)

そして、一番は今よりよほど単純な時代だった、という事が懐かしい。
預金だけでなく借入の金利も高いが、お金を貯めて土地や株式を買えば順当に利が乗ってくるし、会社勤めの場合でも同じ釜の飯を食う仲間という疑似家族だから、リストラなど無い。
だからこそ大人も喜怒哀楽様々あれど、基本的に人生に迷いなく邁進できていたという感じがする。

真面目にコツコツと働き貯金、そして家を買う。
そんなささやかな営みを普通にこなせる時代だったのだ。

そして変質者などほとんどいなかったので、子供だけで外出しても危ない目には合わないし、道行く大人たちもさりげなく他人の子供の事でも見てくれていたものだ。

私も立川まで映画を友人と見に行ったり、新宿のヨドバシカメラまで早朝からドラクエを買いにお年玉を握りしめながら並びに行ったり箱根までロマンスカーに乗り温泉卵を買いに行ったりと、子供だけで色々遠路まで行動していたなあと改めて想起する。

今はどうだろうか。
先が見えない不安感もさることながら、国民の分断化や階層の固定化、拝金主義などが進み、変質者の増加や価値観の揺らぎも相まって、中国や北朝鮮の脅威も含め先行きの不透明感がこれほど高まるのは、戦後で一番ではないだろうか。

過ぎ去った過去を想い、何となく目頭が熱くなった。

それでも我々は今を生きていかなくてはいけない。
ご先祖様たちの苦労を無にしないためにも、何とか今の日本人、特に若い人たちが前向きに明るく生き延びていける事を、私は心より願っている。

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